【リライト】あっちゃん、やめてよ

2008年04月15日 00:26

 その夜、広瀬さんはまったく寝付けずにいた。
 眠ろうとすると、脳裏を仕事のことが駆け巡る。

 当時大規模なプロジェクトに関わっていた彼女は、毎日まとまらない会議や調整に追われていた。
 その日も不毛な会議が長引き、帰宅したのが二十三時。
 食事を摂り、入浴を済ませ、布団に潜り込んだのが深夜零時。
 どうしてもすっきりしない。
 なんとかしないと、どうにしかしないと、という焦りばかりが募り、何の打開案も見いだせず、考えがまとまらない。
 門村さんに電話してみようか。
 ふと彼女は、同じプロジェクトに参加している、三歳年上の先輩の顔を思い浮かべた。
 姉のように慕う門村さんなら、良いアドバイスをくれるかもしれない。
 しかし携帯のない時代、夜更けに実家住まいの門村さんに電話をするのは憚られた。
 何度も寝返りを打ち、考えないようにするが、一向に落ち着かない。
 午前一時が過ぎ、午前二時が過ぎた。

「あっちゃん、やめてよ!」

 寝室に声が響いた。
 その声、そして、「あっちゃん」という呼び方。
 門村さんの声に間違いない。
 広瀬さんは飛び起きると灯りを点け、部屋中を見回した。
 しかし、門村さんの姿はない。
 釈然としないまま灯りを消し、彼女は布団に横になった。

 翌日、重い頭を抱えながら出社した広瀬さんのもとに、同じような表情の門村さんが飛んできた。
「昨日のあれは何よ?」

 広瀬さんが寝付けずにいる頃、門村さんもまた、布団の中で寝付けずにいた。
 彼女もまた、仕事のことが脳裏を駆け巡って落ち着かなかった。
 目を閉じて考えを巡らせていると。

 ぽたっ。

 彼女の眉間に、水滴が落ちた。
 雨漏りかと思ったが、天井にはそれらしきシミはない。
 彼女は頭の位置を変えた。

 ぽたっ。

 さっきと全く同じ、眉間の真ん中に水滴が落ちる。
 じっとしていると、ひっきりなしに水滴は落ち続ける。
 溜まらず顔を横に向けた。

 ぽたっ。

 あり得ない角度で、水滴が眉間に当たる。
(何で?)
 不意に、脳裏に広瀬さんの顔が思い浮かんだ。
 広瀬さんが同じように仕事のことで思い悩んで眠れず、それがこの水滴として現れ、門村さんに訴えかけてきている。
 何故かはわからないが、そんな気がした。
 だからといって、間断なく続く水滴は、とてもじゃないが我慢出来るものではない。
(あっちゃん、やめてよ!)
 彼女は心の中で叫んだ。
 途端、水滴はぴたっと止んだ。

 話を聞き終えた広瀬さんは、門村さんに素直に謝ったそうだ。

(超-1 2008/「あっちゃん、やめてよ」」より)


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