2008年04月18日 23:28
柴田さんは、カード会社から委託された債権回収を行う会社に勤務している。
彼が所属する部署では、法的処理寸前の長期滞納者を担当していた。
さすがにすんなり回収出来る案件は少なかった。
居留守、転居、自己破産、失踪、そして、大半はその場限りの言い逃れでずるずると期限を延ばそうとする。
ある男の場合もそうだった。
電話を掛けると奥さんが出て、明日支払うと言う。
翌日に口座を確認するが、入金はない。
そんなことを繰り返し、数ヶ月が経過していた。
その日電話をすると、やはり奥さんが出て、柴田さんの言葉を待たずに何度も謝罪を繰り返した。
柴田さんがご主人と話がしたいと伝えると、
「主人は昨日亡くなりました」
彼女はそう言って電話を切った。
債権放棄の意思を確認しようと思ったが、すぐに掛け直すのはマナー違反のため、数日後掛け直すことにした。
仕事を終え九時過ぎに帰宅した柴田さんは、部屋で点滅する赤い光に気付いた。
留守番電話にメッセージがあるのだ。
彼は部屋の照明を点けると、電話の再生ボタンを押した。
『イッケンメ、ゴゴ、ハチジ、ニジュウゴフン……
……すみません……明日必ず、必ず銀行へ行きますから……』
あの奥さんの声だ。
(……こいつ、俺の電話番号なんて、どこで知った……?)
顧客に個人情報を教えることはまずない。
身の危険が及ぶ可能性があるだけでなく、つきまとわれるなどのトラブルの元になるからだ。
『すみません、すみません、すみま……』
繰り返される謝罪の声に、時折ノイズが混じる。
『すみませ……だ!……みません、すみません、す……だおわ!……せん、すみ……』
それは、男の喚き声だった。
断片的で、何を叫んでいるのかわからない。
テープの再生をはじめて、一分以上が経過していた。
留守番電話の、一件あたりの録音時間は約一分。それを超えている。
気味悪くなった彼は停止ボタンを押したが、音声は止まらなず、徐々に大きくなっていく。
耐えきれなくなった彼が、電話機を叩きつけようと手を伸ばした時、音声が止まった。
しかし、ダイニングキッチンから聞こえた足音が、わずかな静寂を破った。
彼は掃除機のパイプを片手に、ダイニングキッチンへ続く引き戸を開けた。
そのタイミングを見計らったかのように、折り畳み椅子が派手な音を立てて倒れた。
彼は飛び退き身構えたが、ダイニングキッチンに人の姿はない。
その室内で、ちいさな音がした。
ぽたん、ぽたん……。
その水音は流しの方からではなかった。
見渡すと、椅子の脇に水たまりが出来ている。
彼の目の前で、その水たまりに新たな水滴が落ち、波紋が起こる。
彼はその上を見上げた。
そこには、四肢を力なく垂らした男の姿があった。
そのスラックスの裾から、水滴がしたたり落ちている。
喉元に深く食い込むロープの先は天井へと伸びている。
見開かれた目は突出し、こぼれんばかりだ。
だらしなく開いた口元からは、伸びきった舌が垂れている。
その舌がぷらぷらと蠢いた。
「もうだめだおわりだ、もうだめだおわりだ、もうだめだおわりだ……」
男の口から低く嗄れた声が漏れ続ける。
柴田さんは部屋を飛び出し、エレベーターへ走った。
ボタンを何度も連打し続け、ボックスが到着するとすぐさま飛び乗った。
これからどうしよう。仕事場の先輩の部屋に転がり込もうか。
そう思いながらドアの前に立ち、ボタンを押そうとして気付いた。
ボタンを押していないのに、エレベーターはもう動いている。
どの階数のボタンも点灯していない。『1』のボタンを押したが、反応しない。
ごりごり、ぶつっ。
妙な音に振り返ると。
ボックスの中央に、女が正座していた。
その右手には血に染まった包丁が握られている。
そして彼の目の前で、女は倒れ込んだ。
投げ出された左手首から血飛沫があがり、柴田さんの頬を濡らす。
女の周囲には血だまりが広がり、ボックス内に独特の刺激臭が充満する。
柴田さんは、口元を押さえながら、ドアにもたれて腰を落とした。
乱れた長髪の奥から覗く虚ろな目が、彼を見上げていた。
その口元が動いた。
「あしたぎんこうへいきますから、あしたぎんこうへいきますから……」
揺り起こされて、柴田さんは意識を取り戻した。
彼を起こした若い男女の話によると、一階に到着したエレベーターの中に彼が倒れていたという。
慌てて顔を拭ったが、何も付いていなかった。
心配する男女に対し、彼は大丈夫だと言い、ゆっくり立ち上がった。
無人のエレベーターは不安そうな男女を乗せると、その扉を閉めた。
柴田さんはその後、職場の先輩である宮島さんの家に押しかけた。
彼は宮島さんにこれまでの出来事を話したが、笑って取り合ってくれなかった。
翌日、出社を渋る柴田さんに宮島さんが付き添う形で、二人は出社した。
間もなく、柴田さんに電話が入った。
彼は普段通りの対応を見せていたが、急にヘッドセットをデスクに叩き付けた。
隣で驚く宮島さんに、真っ青になった彼が言った。
「死んだ、って……」
その電話は、あの滞納者の姉からだった。
投げ出されたヘッドセットを宮島さんが装着し、替わりに対応をはじめた。
電話の女性の話によると、滞納者の男性だけでなく、その妻も死んだのだという。
男性が十日前になくなり、妻はその翌日、後追い自殺をしていた。
女性は二人の身辺整理をしている時に借用書などを発見し、相続放棄と督促中止を申し入れる為に電話をしてきたのだという。
滞りなく応対していた宮島さんだったが、一方であることが頭の隅に引っかかった。
彼は三日ほど前に、奥さんと話をしているのだ。
計算が合わない。
宮島さんの計らいで、間もなく柴田さんは短期滞納者を担当する部署に異動する予定だという。
(超-1 2008/「滞納者」より)
彼が所属する部署では、法的処理寸前の長期滞納者を担当していた。
さすがにすんなり回収出来る案件は少なかった。
居留守、転居、自己破産、失踪、そして、大半はその場限りの言い逃れでずるずると期限を延ばそうとする。
ある男の場合もそうだった。
電話を掛けると奥さんが出て、明日支払うと言う。
翌日に口座を確認するが、入金はない。
そんなことを繰り返し、数ヶ月が経過していた。
その日電話をすると、やはり奥さんが出て、柴田さんの言葉を待たずに何度も謝罪を繰り返した。
柴田さんがご主人と話がしたいと伝えると、
「主人は昨日亡くなりました」
彼女はそう言って電話を切った。
債権放棄の意思を確認しようと思ったが、すぐに掛け直すのはマナー違反のため、数日後掛け直すことにした。
仕事を終え九時過ぎに帰宅した柴田さんは、部屋で点滅する赤い光に気付いた。
留守番電話にメッセージがあるのだ。
彼は部屋の照明を点けると、電話の再生ボタンを押した。
『イッケンメ、ゴゴ、ハチジ、ニジュウゴフン……
……すみません……明日必ず、必ず銀行へ行きますから……』
あの奥さんの声だ。
(……こいつ、俺の電話番号なんて、どこで知った……?)
顧客に個人情報を教えることはまずない。
身の危険が及ぶ可能性があるだけでなく、つきまとわれるなどのトラブルの元になるからだ。
『すみません、すみません、すみま……』
繰り返される謝罪の声に、時折ノイズが混じる。
『すみませ……だ!……みません、すみません、す……だおわ!……せん、すみ……』
それは、男の喚き声だった。
断片的で、何を叫んでいるのかわからない。
テープの再生をはじめて、一分以上が経過していた。
留守番電話の、一件あたりの録音時間は約一分。それを超えている。
気味悪くなった彼は停止ボタンを押したが、音声は止まらなず、徐々に大きくなっていく。
耐えきれなくなった彼が、電話機を叩きつけようと手を伸ばした時、音声が止まった。
しかし、ダイニングキッチンから聞こえた足音が、わずかな静寂を破った。
彼は掃除機のパイプを片手に、ダイニングキッチンへ続く引き戸を開けた。
そのタイミングを見計らったかのように、折り畳み椅子が派手な音を立てて倒れた。
彼は飛び退き身構えたが、ダイニングキッチンに人の姿はない。
その室内で、ちいさな音がした。
ぽたん、ぽたん……。
その水音は流しの方からではなかった。
見渡すと、椅子の脇に水たまりが出来ている。
彼の目の前で、その水たまりに新たな水滴が落ち、波紋が起こる。
彼はその上を見上げた。
そこには、四肢を力なく垂らした男の姿があった。
そのスラックスの裾から、水滴がしたたり落ちている。
喉元に深く食い込むロープの先は天井へと伸びている。
見開かれた目は突出し、こぼれんばかりだ。
だらしなく開いた口元からは、伸びきった舌が垂れている。
その舌がぷらぷらと蠢いた。
「もうだめだおわりだ、もうだめだおわりだ、もうだめだおわりだ……」
男の口から低く嗄れた声が漏れ続ける。
柴田さんは部屋を飛び出し、エレベーターへ走った。
ボタンを何度も連打し続け、ボックスが到着するとすぐさま飛び乗った。
これからどうしよう。仕事場の先輩の部屋に転がり込もうか。
そう思いながらドアの前に立ち、ボタンを押そうとして気付いた。
ボタンを押していないのに、エレベーターはもう動いている。
どの階数のボタンも点灯していない。『1』のボタンを押したが、反応しない。
ごりごり、ぶつっ。
妙な音に振り返ると。
ボックスの中央に、女が正座していた。
その右手には血に染まった包丁が握られている。
そして彼の目の前で、女は倒れ込んだ。
投げ出された左手首から血飛沫があがり、柴田さんの頬を濡らす。
女の周囲には血だまりが広がり、ボックス内に独特の刺激臭が充満する。
柴田さんは、口元を押さえながら、ドアにもたれて腰を落とした。
乱れた長髪の奥から覗く虚ろな目が、彼を見上げていた。
その口元が動いた。
「あしたぎんこうへいきますから、あしたぎんこうへいきますから……」
揺り起こされて、柴田さんは意識を取り戻した。
彼を起こした若い男女の話によると、一階に到着したエレベーターの中に彼が倒れていたという。
慌てて顔を拭ったが、何も付いていなかった。
心配する男女に対し、彼は大丈夫だと言い、ゆっくり立ち上がった。
無人のエレベーターは不安そうな男女を乗せると、その扉を閉めた。
柴田さんはその後、職場の先輩である宮島さんの家に押しかけた。
彼は宮島さんにこれまでの出来事を話したが、笑って取り合ってくれなかった。
翌日、出社を渋る柴田さんに宮島さんが付き添う形で、二人は出社した。
間もなく、柴田さんに電話が入った。
彼は普段通りの対応を見せていたが、急にヘッドセットをデスクに叩き付けた。
隣で驚く宮島さんに、真っ青になった彼が言った。
「死んだ、って……」
その電話は、あの滞納者の姉からだった。
投げ出されたヘッドセットを宮島さんが装着し、替わりに対応をはじめた。
電話の女性の話によると、滞納者の男性だけでなく、その妻も死んだのだという。
男性が十日前になくなり、妻はその翌日、後追い自殺をしていた。
女性は二人の身辺整理をしている時に借用書などを発見し、相続放棄と督促中止を申し入れる為に電話をしてきたのだという。
滞りなく応対していた宮島さんだったが、一方であることが頭の隅に引っかかった。
彼は三日ほど前に、奥さんと話をしているのだ。
計算が合わない。
宮島さんの計らいで、間もなく柴田さんは短期滞納者を担当する部署に異動する予定だという。
(超-1 2008/「滞納者」より)




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