2008年04月21日 04:09
神社仏閣や伝統行事に目のない恵美さんは、あまり乗り気でないご主人を引きずって、奈良に旅行に出掛けた。
お目当ては興福寺の薪能。
安全の為早めに出発したのだが、計算以上に早く奈良駅に到着した。
駅から興福寺までの距離も近く、開演までにかなりの間が空いてしまった。
そこで、かねてから気になっていた春日大社に詣でる事にした。
興福寺から大社の参道に入り、一の鳥居、二の鳥居を通過する。
二の鳥居を通過したあたりから、どうも周囲の様子がおかしい。
大社を囲む森のそこかしこに、ざわざわとした気配を感じた。
しかもそれらは、恵美さん達につかず離れずの距離を保ちながら、後をついてきているようだ。
恵美さんがご主人を見ると、その表情がこわばっている。
「ここ、何かいないか?」
「うん……何だろう? ものすごくいっぱいいる。周りをぐるっと囲まれている感じ。
歴史のある神社だから、神様がいるのかもね」
そういう経験に割と慣れていた恵美さんが言うと、ご主人が頭を振った。
「いや、神様じゃないよ。これは……『妖怪』っていう感じだよ」
そういうものに縁遠いと思っていたご主人が、はっきりと断言した。
間もなく夕暮れ時。
参道を戻る人の姿は多かったが、参道へ向かっていたのは彼女達だけ。
その足取りが重くなる。
それは気持ちの問題ではない。物理的に何かが二人に絡みついて重くのし掛かっていた。
「なあ、ここ有名な神社なんだろ? どうなってんだよ、これ?」
ご主人の声がうわずっていた。
様々な神社に参拝した事のあった彼女だが、これまで清々しい気分を味わう事はあっても、こんなに重く、薄気味悪い気配を感じるのは初めての事だった。
戻ろうにも、背後の気配が日暮れとともに濃密になっていて、引き返せない。
振り返る事も出来ず、倒れそうになるのを堪えながら、参道を進む。
その二人の前に、誰かが立っているのが見えた。
神職の常装を身に纏った皺だらけの老人が、彼女達の進行を阻むかのように、到着殿の手前に直立している。
烏帽子に狩衣、差袴、その全てが染みひとつなく輝く純白。
つり上がったその目が、ふたりを射貫くかのような凄みを帯びていた。
(ここへ、何をしに来た!)
そう言われているような気がした。
その佇まいに思わず立ちすくむと、老人の姿は霞のように消えてしまった。
「どうした?」
「いま、そこに人が……」
彼女は言いかけてやめた。ご主人には老人の姿が見えなかった事に気づいたからだ。
気付くと、体の重さが消えていた。
そそくさと本殿でのお参りを済ませ振り返ると、すっかり日の落ちた参道が目に入った。
躊躇したものの、そこから帰るしかない。
恐る恐る踏み出すと、明らかに違う。
あれだけ濃密だった気配が、微塵も残さず消えている。
まさに、蛻の殻。
行きとは違い、あっさりと一の鳥居に辿り着いてしまった。
後日、神事に詳しい友人にその話をしたところ、友人はこんな話をしてくれた。
鳥居はそれ自体が結界になっていて、人にこびりついた邪気などはそこでふるい落とされる。
春日大社ほどの強力な神社で、しかも鳥居ふたつもあると、根こそぎ引きはがす程の威力を持つ。
そうして落とされたモノが、その近辺に彷徨っていたのではないか。
そこにやって来た恵美さんは、藤原氏の末裔にあたる。
そんな彼女には、藤原氏の氏神を祭る大社の結界の影響が多少弱くなってしまうらしい。
その隙を突いて、禍々しいモノ達が彼女に取り憑き、境内への侵入を試みようとした。
しかし、それをあの老人……大社の眷属である神霊に追い返されたのではないか。
その話を聞き、恵美さんは改めてぞっとした。
「もしも、ああいう怖いものが本殿に入り込んでしまった場合、社は一体どうなってしまうんでしょう」
恵美さんはそう言うと、身をすくませていた。
(超-1 2008/「社護(やしろまもり)」より)
お目当ては興福寺の薪能。
安全の為早めに出発したのだが、計算以上に早く奈良駅に到着した。
駅から興福寺までの距離も近く、開演までにかなりの間が空いてしまった。
そこで、かねてから気になっていた春日大社に詣でる事にした。
興福寺から大社の参道に入り、一の鳥居、二の鳥居を通過する。
二の鳥居を通過したあたりから、どうも周囲の様子がおかしい。
大社を囲む森のそこかしこに、ざわざわとした気配を感じた。
しかもそれらは、恵美さん達につかず離れずの距離を保ちながら、後をついてきているようだ。
恵美さんがご主人を見ると、その表情がこわばっている。
「ここ、何かいないか?」
「うん……何だろう? ものすごくいっぱいいる。周りをぐるっと囲まれている感じ。
歴史のある神社だから、神様がいるのかもね」
そういう経験に割と慣れていた恵美さんが言うと、ご主人が頭を振った。
「いや、神様じゃないよ。これは……『妖怪』っていう感じだよ」
そういうものに縁遠いと思っていたご主人が、はっきりと断言した。
間もなく夕暮れ時。
参道を戻る人の姿は多かったが、参道へ向かっていたのは彼女達だけ。
その足取りが重くなる。
それは気持ちの問題ではない。物理的に何かが二人に絡みついて重くのし掛かっていた。
「なあ、ここ有名な神社なんだろ? どうなってんだよ、これ?」
ご主人の声がうわずっていた。
様々な神社に参拝した事のあった彼女だが、これまで清々しい気分を味わう事はあっても、こんなに重く、薄気味悪い気配を感じるのは初めての事だった。
戻ろうにも、背後の気配が日暮れとともに濃密になっていて、引き返せない。
振り返る事も出来ず、倒れそうになるのを堪えながら、参道を進む。
その二人の前に、誰かが立っているのが見えた。
神職の常装を身に纏った皺だらけの老人が、彼女達の進行を阻むかのように、到着殿の手前に直立している。
烏帽子に狩衣、差袴、その全てが染みひとつなく輝く純白。
つり上がったその目が、ふたりを射貫くかのような凄みを帯びていた。
(ここへ、何をしに来た!)
そう言われているような気がした。
その佇まいに思わず立ちすくむと、老人の姿は霞のように消えてしまった。
「どうした?」
「いま、そこに人が……」
彼女は言いかけてやめた。ご主人には老人の姿が見えなかった事に気づいたからだ。
気付くと、体の重さが消えていた。
そそくさと本殿でのお参りを済ませ振り返ると、すっかり日の落ちた参道が目に入った。
躊躇したものの、そこから帰るしかない。
恐る恐る踏み出すと、明らかに違う。
あれだけ濃密だった気配が、微塵も残さず消えている。
まさに、蛻の殻。
行きとは違い、あっさりと一の鳥居に辿り着いてしまった。
後日、神事に詳しい友人にその話をしたところ、友人はこんな話をしてくれた。
鳥居はそれ自体が結界になっていて、人にこびりついた邪気などはそこでふるい落とされる。
春日大社ほどの強力な神社で、しかも鳥居ふたつもあると、根こそぎ引きはがす程の威力を持つ。
そうして落とされたモノが、その近辺に彷徨っていたのではないか。
そこにやって来た恵美さんは、藤原氏の末裔にあたる。
そんな彼女には、藤原氏の氏神を祭る大社の結界の影響が多少弱くなってしまうらしい。
その隙を突いて、禍々しいモノ達が彼女に取り憑き、境内への侵入を試みようとした。
しかし、それをあの老人……大社の眷属である神霊に追い返されたのではないか。
その話を聞き、恵美さんは改めてぞっとした。
「もしも、ああいう怖いものが本殿に入り込んでしまった場合、社は一体どうなってしまうんでしょう」
恵美さんはそう言うと、身をすくませていた。
(超-1 2008/「社護(やしろまもり)」より)




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