2008年04月21日 04:16
風見さんは学生時代、木造のボロアパートに住んでいた。
隙間風や往来の喧噪も遠慮なく彼の部屋を通り抜ける。
それらは我慢出来たが、ひとつだけ我慢できないことがあった。
夜遅く、隣の鋤柄という学生の部屋から、ギターの音がけたたましく鳴り響く。
何度も文句を言ったが、その場は平謝りするものの、三日もするとまた演奏が始まる。
溜まらず彼は大家に苦情を入れると、その夜、鋤柄のご両親が彼の元を訪れて謝罪した。
それでも演奏は収まらなかった。
鋤柄のご両親は近所に住んでいて、商店街などで会う事があったが、その度に謝られて気まずい思いをした。
その日、風見さんは酷く疲れていた。
彼は帰るなり万年床に倒れ込んだが、安眠を阻むかのように、あの騒音が響いた。
怒りが頂点に達したが、怒鳴る元気もない。
その代わりに、心の中で叫んだ。
あんなやつ、消えてくれ!
『消してやろうか』
重い声が響いた。
驚いた風見さんが目を開けると、彼の横に何者かが立っていた。
彫像のように引き締まった体。
精悍な顔つき。
そしてその有無を言わさぬ存在感。
大人と子供どころではない、圧倒的な力の差を感じさせた。
それは微動だにせず、答えを待つかのように彼を見下ろしている。
選択を誤れば……自分が危ない。
……消してくれ。
そう念じると、そいつは笑った、ように見えた。
そして、彼を一瞥すると、壁の向こうへ消えた。
次の瞬間、隣室からもの凄い絶叫が響いた。
それから、静寂が訪れた。
それが何を意味するのか、確認する勇気はなかった。
翌日、それとなく隣室の様子を伺ったが、不審な点はなかった。
その夜は、とても静かだった。
しかし、風見さんは眠る事が出来なかった。
その翌日、大学から帰ってくると、大家と警察官に呼び止められた。
鋤柄が行方不明なのだという。
彼の部屋を訪れたご両親が、彼の不在に気付き、通報したのだという。
部屋は鍵がかかった状態で、財布や鍵は室内に残っていた。
心当たりはない、と風見さんは答えるしかなかった。
その後風見さんは、鋤柄のご両親と商店街で会う事があった。
陰鬱な表情で会釈され、彼は胸を詰まらせた。
それからひと月ほどしたある日、大学から戻ると、隣室から次々と荷物が運び出されている。
そばにいた大家に聞くと、新しい人が入る為、残っていた家財を撤去しているのだという。
鋤柄の事を尋ねると、誰ですかそれ? と逆に尋ねられた。
彼は鋤柄の風貌とこれまでの経緯を話したが、大家は本当に忘れてしまっているようだった。
その日の夕方、風見さんは鋤柄のご両親の家を尋ねた。
信じてもらえなくても良いから全てを伝えて楽になりたいという思いもあった。
しかし、ご両親は息子の事だけではなく、風見さんの事も憶えていなかった。
鋤柄の母親の表情からは、数日前までの影が嘘のように消えている。
彼女は不審そうに風見さんの顔を見ている。
それに耐えきれず、彼は退散した。
その後、平穏な日常が戻った。
ひとりを欠いた状態のまま。
(超-1 2008/「消えてくれ!」より)
隙間風や往来の喧噪も遠慮なく彼の部屋を通り抜ける。
それらは我慢出来たが、ひとつだけ我慢できないことがあった。
夜遅く、隣の鋤柄という学生の部屋から、ギターの音がけたたましく鳴り響く。
何度も文句を言ったが、その場は平謝りするものの、三日もするとまた演奏が始まる。
溜まらず彼は大家に苦情を入れると、その夜、鋤柄のご両親が彼の元を訪れて謝罪した。
それでも演奏は収まらなかった。
鋤柄のご両親は近所に住んでいて、商店街などで会う事があったが、その度に謝られて気まずい思いをした。
その日、風見さんは酷く疲れていた。
彼は帰るなり万年床に倒れ込んだが、安眠を阻むかのように、あの騒音が響いた。
怒りが頂点に達したが、怒鳴る元気もない。
その代わりに、心の中で叫んだ。
あんなやつ、消えてくれ!
『消してやろうか』
重い声が響いた。
驚いた風見さんが目を開けると、彼の横に何者かが立っていた。
彫像のように引き締まった体。
精悍な顔つき。
そしてその有無を言わさぬ存在感。
大人と子供どころではない、圧倒的な力の差を感じさせた。
それは微動だにせず、答えを待つかのように彼を見下ろしている。
選択を誤れば……自分が危ない。
……消してくれ。
そう念じると、そいつは笑った、ように見えた。
そして、彼を一瞥すると、壁の向こうへ消えた。
次の瞬間、隣室からもの凄い絶叫が響いた。
それから、静寂が訪れた。
それが何を意味するのか、確認する勇気はなかった。
翌日、それとなく隣室の様子を伺ったが、不審な点はなかった。
その夜は、とても静かだった。
しかし、風見さんは眠る事が出来なかった。
その翌日、大学から帰ってくると、大家と警察官に呼び止められた。
鋤柄が行方不明なのだという。
彼の部屋を訪れたご両親が、彼の不在に気付き、通報したのだという。
部屋は鍵がかかった状態で、財布や鍵は室内に残っていた。
心当たりはない、と風見さんは答えるしかなかった。
その後風見さんは、鋤柄のご両親と商店街で会う事があった。
陰鬱な表情で会釈され、彼は胸を詰まらせた。
それからひと月ほどしたある日、大学から戻ると、隣室から次々と荷物が運び出されている。
そばにいた大家に聞くと、新しい人が入る為、残っていた家財を撤去しているのだという。
鋤柄の事を尋ねると、誰ですかそれ? と逆に尋ねられた。
彼は鋤柄の風貌とこれまでの経緯を話したが、大家は本当に忘れてしまっているようだった。
その日の夕方、風見さんは鋤柄のご両親の家を尋ねた。
信じてもらえなくても良いから全てを伝えて楽になりたいという思いもあった。
しかし、ご両親は息子の事だけではなく、風見さんの事も憶えていなかった。
鋤柄の母親の表情からは、数日前までの影が嘘のように消えている。
彼女は不審そうに風見さんの顔を見ている。
それに耐えきれず、彼は退散した。
その後、平穏な日常が戻った。
ひとりを欠いた状態のまま。
(超-1 2008/「消えてくれ!」より)






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