2008年04月22日 23:53
「美味しいパスタをおごってくれるなら」
そんな条件付きで、真美さんは話を聞かせてくれた。
当時、真美さんは高校受験を控え、勉強漬けの日々を送っていた。
塾の冬期講習から戻ると自宅で復習、それが日課だった。
その日も自宅で予習をしていたが、眠くなったので早めに切り上げた。
部屋の照明を落とし、ベッドに潜り込んだ途端、部屋の空気が一変した。
部屋全体が生暖かい水に包まれているようだった。
その水の中、布団に入っていたはずの彼女の体が、布団を通り過ぎて浮かび上がる。
水の中でも息苦しさはなく、呼吸するたびに甘く懐かしい味が口中に広がる。
室内には、ごうん、ごうん、と脱水時の洗濯機が回るような、ゆっくりと静かな音がし続けている。
怖くはなく、不思議と穏やかな気持ちだった。
彼女はゆっくりと周囲を見回していると、部屋の一角がほんのり明るくなった。
見ると、勉強机のスタンドの電気がついている。
そして、机に向かう後姿が浮かび上がった。
(あれ? あたし?)
その背格好、髪型、体格、すべて真美さんそのものだった。
ただ、もうひとりの彼女は全裸だった。
全裸の彼女は参考書をめくり、時折首を傾げては耳元をいじっていた。
しきりにシャープペンシルの頭部をカチカチと押し、出すぎた芯を机に押し当てて戻し、再びカチカチと押す。
それは彼女のクセそのままだった。
ただ、シャーペンを持つ手も、耳元を触る手も、どちらも左手。
真美さんは右利き。
左手でシャープペンシルをいじりながら全裸で勉強する姿に、真美さんは無性に恥ずかしさを覚えた。
それもつかの間、彼女の意識はぼんやりと薄れていった。
翌朝、目覚ましに起こされた彼女は机の上を確認した。
参考書やノートは閉じて重ねられていて、ノートを開くと昨晩自分が書いた以上の追記はなかった。
ただ、消しゴムだけがかなり減っており、机の上のどこを見ても消しカスが見当たらなかった。
やがて受験勉強に追われ、その出来事は記憶の隅に追いやられていた。
猛勉強の甲斐があり、無事に志望校に合格し、高校生活にすっかり慣れた頃、妙なことが起こり始めた。
体育の授業でバレーボールをしていた時、運動音痴のはずの真美さんが強烈なスパイクを放った。
その勇姿にクラスメイトや先生だけでなく、彼女自身も驚いていた。
その時、後ろで見ていたクラスメイトが彼女に声をかけた。
「あれ? 真美って左利きだっけ?」
その後もたびたび、彼女は無意識のうちに左手を使うことがあった。
本人には自覚がまるでなく、人に指摘されてはじめて気づく有様だった。
同じ頃、彼女は腰に妙な違和感を覚え始めていた。
触れるとそこに、しこりのようなものがある。
前屈みになった時にそれがどこかと干渉し、痛みが走る。
日に日にその痛みは大きくなっていき、彼女はついに立ち上がれなくなった。
病院で検査を受けると、すぐに除去手術を行うことになった。
手術が終わり、真美さんが眼を覚ますと、泣き腫らした顔の母がそばにいた。
母は泣きながら、彼女が本当は、双子だったことを告げた。
消失する双子(バニシング・ツイン)。
双子の胎児の片方が何らかの理由で死亡すると、その体は母体に吸収される。
しかし稀に、残った胎児の体の中に一部または全体が取り込まれることがある。
真美さんの体から摘出されたしこりの中からは、細い髪の毛の束と器官の一部と思われるものが入っていた。
泣きながら話をする母の手に、真美さんはそっと左手を重ねた。
やがて母が帰宅し、消灯時間になったが、真美さんは寝付けずにいた。
自分の姉妹。姉か妹かわからないけど、もし生きていたら、どんな生活になっただろう。
そうして思いをめぐらせているうち、病室内の空気が変わった。
彼女の全身が甘い水に満たされ、どこからか、ごうん、ごうんというあの音が聞こえてくる。
そして、部屋の右隅がぽうっと明るくなった。
昼間、母が座っていた見舞客用の椅子。
そこに、全裸の女の子・・・・・・もうひとりの自分がいた。
彼女はそっと左手を差し出し、慈しむように真美さんの髪を撫でた。
途端に、様々な感情の波が穏やかに落ち着いていった。
心地よい時間に、真美さんは溶けていくようなまどろみを覚えた。
そして、眠りに落ちる寸前、彼女は声を聞いた気がした。
『・・・・・・またね』
もうひとりの自分を見たのは、それが最後だった。
真美さんはそこまで話し終わると、左手でフォークを持った。
あっけにとられる私をよそに、彼女は器用にパスタをくるくると巻きつけると、そっと口元に運んだ。
(超-1 2008/「名残」より)
そんな条件付きで、真美さんは話を聞かせてくれた。
当時、真美さんは高校受験を控え、勉強漬けの日々を送っていた。
塾の冬期講習から戻ると自宅で復習、それが日課だった。
その日も自宅で予習をしていたが、眠くなったので早めに切り上げた。
部屋の照明を落とし、ベッドに潜り込んだ途端、部屋の空気が一変した。
部屋全体が生暖かい水に包まれているようだった。
その水の中、布団に入っていたはずの彼女の体が、布団を通り過ぎて浮かび上がる。
水の中でも息苦しさはなく、呼吸するたびに甘く懐かしい味が口中に広がる。
室内には、ごうん、ごうん、と脱水時の洗濯機が回るような、ゆっくりと静かな音がし続けている。
怖くはなく、不思議と穏やかな気持ちだった。
彼女はゆっくりと周囲を見回していると、部屋の一角がほんのり明るくなった。
見ると、勉強机のスタンドの電気がついている。
そして、机に向かう後姿が浮かび上がった。
(あれ? あたし?)
その背格好、髪型、体格、すべて真美さんそのものだった。
ただ、もうひとりの彼女は全裸だった。
全裸の彼女は参考書をめくり、時折首を傾げては耳元をいじっていた。
しきりにシャープペンシルの頭部をカチカチと押し、出すぎた芯を机に押し当てて戻し、再びカチカチと押す。
それは彼女のクセそのままだった。
ただ、シャーペンを持つ手も、耳元を触る手も、どちらも左手。
真美さんは右利き。
左手でシャープペンシルをいじりながら全裸で勉強する姿に、真美さんは無性に恥ずかしさを覚えた。
それもつかの間、彼女の意識はぼんやりと薄れていった。
翌朝、目覚ましに起こされた彼女は机の上を確認した。
参考書やノートは閉じて重ねられていて、ノートを開くと昨晩自分が書いた以上の追記はなかった。
ただ、消しゴムだけがかなり減っており、机の上のどこを見ても消しカスが見当たらなかった。
やがて受験勉強に追われ、その出来事は記憶の隅に追いやられていた。
猛勉強の甲斐があり、無事に志望校に合格し、高校生活にすっかり慣れた頃、妙なことが起こり始めた。
体育の授業でバレーボールをしていた時、運動音痴のはずの真美さんが強烈なスパイクを放った。
その勇姿にクラスメイトや先生だけでなく、彼女自身も驚いていた。
その時、後ろで見ていたクラスメイトが彼女に声をかけた。
「あれ? 真美って左利きだっけ?」
その後もたびたび、彼女は無意識のうちに左手を使うことがあった。
本人には自覚がまるでなく、人に指摘されてはじめて気づく有様だった。
同じ頃、彼女は腰に妙な違和感を覚え始めていた。
触れるとそこに、しこりのようなものがある。
前屈みになった時にそれがどこかと干渉し、痛みが走る。
日に日にその痛みは大きくなっていき、彼女はついに立ち上がれなくなった。
病院で検査を受けると、すぐに除去手術を行うことになった。
手術が終わり、真美さんが眼を覚ますと、泣き腫らした顔の母がそばにいた。
母は泣きながら、彼女が本当は、双子だったことを告げた。
消失する双子(バニシング・ツイン)。
双子の胎児の片方が何らかの理由で死亡すると、その体は母体に吸収される。
しかし稀に、残った胎児の体の中に一部または全体が取り込まれることがある。
真美さんの体から摘出されたしこりの中からは、細い髪の毛の束と器官の一部と思われるものが入っていた。
泣きながら話をする母の手に、真美さんはそっと左手を重ねた。
やがて母が帰宅し、消灯時間になったが、真美さんは寝付けずにいた。
自分の姉妹。姉か妹かわからないけど、もし生きていたら、どんな生活になっただろう。
そうして思いをめぐらせているうち、病室内の空気が変わった。
彼女の全身が甘い水に満たされ、どこからか、ごうん、ごうんというあの音が聞こえてくる。
そして、部屋の右隅がぽうっと明るくなった。
昼間、母が座っていた見舞客用の椅子。
そこに、全裸の女の子・・・・・・もうひとりの自分がいた。
彼女はそっと左手を差し出し、慈しむように真美さんの髪を撫でた。
途端に、様々な感情の波が穏やかに落ち着いていった。
心地よい時間に、真美さんは溶けていくようなまどろみを覚えた。
そして、眠りに落ちる寸前、彼女は声を聞いた気がした。
『・・・・・・またね』
もうひとりの自分を見たのは、それが最後だった。
真美さんはそこまで話し終わると、左手でフォークを持った。
あっけにとられる私をよそに、彼女は器用にパスタをくるくると巻きつけると、そっと口元に運んだ。
(超-1 2008/「名残」より)




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