【リライト】走り屋の聖地

2008年04月25日 23:24

 小松さんは二十代の頃、走り屋の真似事をしていた。
 といっても、同じバイク好きのバイトの先輩に誘われ、公道レースのギャラリーに混じっていることがほとんどだった。

 その夜も彼女は先輩に誘われて、東京と山梨の県境にある、走り屋の間ではかなり有名な峠に来ていた。
 彼女達は、特にギャラリーが集中しているカーブの谷側にある、比較的安全なポジションを確保することが出来た。
 すぐ目の前を、何台かの車が車体を滑らせながら猛スピードで通過していく。
 それに続いて、極限まで車体を倒したバイクが鮮やかにクリアしていく。
 それらが通り過ぎて行った時、彼女は道路の向こうに見える、おかしなものに気付いた。

 道路の向こう、切り立った崖の八メートルほど上には、木々が生い茂っている箇所がある。
 その木々にまとわりつくように、モヤが溜まっている。
 幅五メートル、高さ二メートル程のモヤは、薄ぼんやりと光を帯び、その場で蠢動している。

「あれが見えるのか」
 モヤを見ている彼女に、先輩が声を掛けてきた。
「はい。なんですかね、あのモヤ」
「そうか……お前にはあれが、モヤに見えるんだな」
「え? どういう事ですか?」
「俺には、たくさんの人に見える」

 先輩には、そこに若い男達が並んでいる姿が見えた。
 ずたずたに破れたツナギを着た男。
 激しく損傷したヘルメットを被る、顔が血に染まった男。
 薄皮一枚で辛うじて繋がっている片腕を、だらしなくぶら下げている男。
 そのいずれも、生きているようには見えない。
「あの車が一番速い」
「あのバイクが一番遅い」
 彼らはそう呟きながら、峠を攻める若者達を見下ろしている。

「レースを楽しんでいるみたいですね」
「いや、スピードのことを言っているんじゃない……死ぬのが早いか遅いかを言い合っているんだ」

 今ではもう、あの峠で公道レースが開かれることはない。
 小松さんは時折、あの峠に思いを巡らせ、複雑な思いに駆られることがある。
 路面を刻む轟音と歓声の消えたあのカーブに、まだ走り屋を待ち続ける彼らの姿があるような気がして。

(超-1 2008/「走り屋の聖地」より)


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