2008年04月27日 23:44
辻川さんは、カメラマン歴約四十年のベテラン。
無理をしないよう、仕事量を抑えるようにしている為、アシスタントをつけず、ひとりで仕事をこなしている。
「昔はね、それこそ山のように仕事を取ってたから、俺ひとりじゃこなしきれないってんで、ひとりかふたりは常にアシスタントをつけてたわけ」
これまで彼のアシスタントを務めたカメラマン志望の若者の数は、憶えているだけでもざっと五十人以上はいる。
しかしその中でも、特に忘れられない青年がいた。
野部というその青年は、若い割に礼儀正しく仕事もそつなくこなしてくれた。
彼を気に入った辻川さんは、あちこちの現場へ彼を連れて行き、経験を積み重ねる手助けをした。
辻川さんは野部君に、アングル取りやフレーミングの練習の為、ポラロイドカメラを貸与していた。
フィルム形式と違いその場で撮影結果が確認出来、費用も手間も少なくて済むからだ。
デジカメが普及している現代でも、ポラロイドを試し撮りに使うプロも少なくない。
野部君は仕事の合間を使い、撮影技術の錬磨に励んでいた。
彼は撮影した写真を辻川さんに見せて、熱心にアドバイスを受けた。
しかし、その写真は妙だった。
撮影技術などの問題ではない。
初めて彼が辻川さんに見せた写真は、路上に停車しているライトバンを被写体にしていた。
そのフロントガラスに、苦悶の表情を浮かべた男の顔が貼り付いていた。
辻川さんがそれについて聞くと、彼はこともなげにこう答えた。
「ああ、それですか。もう慣れました」
彼の話では、ポラロイドを使った時だけ、かなりの高確率でそういう写真が撮れるのだという。
そうなるのはポラロイドの時だけで、普通のフィルム形式のカメラでは、ごく普通の写真が撮影できるのだそうだ。
それからも野部君は、奇妙な写真を撮り続けた。
そのどれもが構図に難はなく、被写体の選択もいい。
しかし、本来そこにないはずのものが捉えられている。
塀の上を歩く白猫の胴が異様に長く写る。
滑り台から滑り降りようとする瞬間の少女を撮ったはずが、その背後に撮影時にはいなかった女が立っている。
にこやかにレンズに笑顔を振りまく女性の下半身が、血を撒いたように赤く染まっている。
電信柱に、するりと伸びた白い腕が蛇のように絡みつく。
あまりにもそんな写真が続いたため、辻川さんもすっかり慣れてしまい、
「おい、これ、白い影が串刺しになって写っちゃってるよ」
などと冗談交じりにアドバイスを送ることもあった。
野部君がアシスタントを務めるようになってから、四ヶ月ほどが経過していた。
その日も彼はいつものように、仕事の合間にポラロイドを使ってあたりを撮影していた。
しかし、吐き出された写真の映像が鮮明になると、彼が短く呻いた。
また撮れてしまったのかと辻川さんは察したのだが、彼の様子がいつもと違っていた。
いつもは何が写っていようと、真っ先に辻川さんに見せに来るのだが、何故かその時、彼は酷く躊躇していた。
気になった辻川さんが何度も見せるように言うと、彼は渋々写真を渡した。
渡された写真を一目見て、辻川さんは野部君が躊躇った理由がわかった。
陽光を反射してそびえたるビル群。
そのシルエットを遮るように、フレームの半分ほどを青白い顔が占めていた。
縮れた長髪がフレームを埋め付くしそうな勢いで広がり、眼のあるべき場所には穿たれたような穴が空き、口がカメラを飲み込もうとしているかのように大きく開かれている。
その様は、さながら髑髏のようだった。
「何なんですかね、これ……」
野部君は引きつった笑みを浮かべるながら、そう口にするのが精一杯だった。
それから、徐々に彼の様子がおかしくなっていった。
さわやかで仕事熱心だった筈の彼が、ぼんやりとして仕事に集中していない事が増えた。
顔は窶れ、目の下には濃い隈が浮かんでいる。
心配事があって寝不足になっているのかと思い、辻川さんが尋ねても、
「いや、何でもないです」
と彼は答えるだけだった。
また、彼はポラロイドカメラを使わなくなった。
カメラは辻川さんの機材とともに運搬され、いつでも使える状況にあるにも関わらず、手に取ろうとすらしなかった。
そしてある日、野部君から辻川さんの元に、アシスタントを辞めさせて欲しいという電話が入った。
理由を尋ねると、田舎に帰るのだと言い、具体的な理由を話そうとしない。
そして、一方的に電話は切られてしまった。
彼を心配した辻川さんはその日の午後、彼の住むアパートに向かった。
彼の部屋の玄関前に立ち、呼び鈴を鳴らしたが応答がない。
ドアを叩き彼の名を呼んだが、全く出てくる気配がない。
辻川さんは諦めて帰ろうとした時、郵便受けに破れた紙幣のような物が挟まっていることに気付いた。
それを何気なく引っ張り出した辻川さんは、背筋が凍り付いた。
端が黒く焦げたそれは、間違いなくあの時に野部君が撮影したポラロイド写真だった。
風景が写っていた部分だけが焼失し、あの顔の部分だけが焼け残っている。
辻川さんはそれを乱暴に郵便受けに突っ込むと、慌ててその場をあとにした。
それから、野部君とは連絡を取っていない。
彼が使っていたポラロイドカメラは故障し、使い物にならなくなっていた。
(超-1 2008/「ポラロイド限定」より)
無理をしないよう、仕事量を抑えるようにしている為、アシスタントをつけず、ひとりで仕事をこなしている。
「昔はね、それこそ山のように仕事を取ってたから、俺ひとりじゃこなしきれないってんで、ひとりかふたりは常にアシスタントをつけてたわけ」
これまで彼のアシスタントを務めたカメラマン志望の若者の数は、憶えているだけでもざっと五十人以上はいる。
しかしその中でも、特に忘れられない青年がいた。
野部というその青年は、若い割に礼儀正しく仕事もそつなくこなしてくれた。
彼を気に入った辻川さんは、あちこちの現場へ彼を連れて行き、経験を積み重ねる手助けをした。
辻川さんは野部君に、アングル取りやフレーミングの練習の為、ポラロイドカメラを貸与していた。
フィルム形式と違いその場で撮影結果が確認出来、費用も手間も少なくて済むからだ。
デジカメが普及している現代でも、ポラロイドを試し撮りに使うプロも少なくない。
野部君は仕事の合間を使い、撮影技術の錬磨に励んでいた。
彼は撮影した写真を辻川さんに見せて、熱心にアドバイスを受けた。
しかし、その写真は妙だった。
撮影技術などの問題ではない。
初めて彼が辻川さんに見せた写真は、路上に停車しているライトバンを被写体にしていた。
そのフロントガラスに、苦悶の表情を浮かべた男の顔が貼り付いていた。
辻川さんがそれについて聞くと、彼はこともなげにこう答えた。
「ああ、それですか。もう慣れました」
彼の話では、ポラロイドを使った時だけ、かなりの高確率でそういう写真が撮れるのだという。
そうなるのはポラロイドの時だけで、普通のフィルム形式のカメラでは、ごく普通の写真が撮影できるのだそうだ。
それからも野部君は、奇妙な写真を撮り続けた。
そのどれもが構図に難はなく、被写体の選択もいい。
しかし、本来そこにないはずのものが捉えられている。
塀の上を歩く白猫の胴が異様に長く写る。
滑り台から滑り降りようとする瞬間の少女を撮ったはずが、その背後に撮影時にはいなかった女が立っている。
にこやかにレンズに笑顔を振りまく女性の下半身が、血を撒いたように赤く染まっている。
電信柱に、するりと伸びた白い腕が蛇のように絡みつく。
あまりにもそんな写真が続いたため、辻川さんもすっかり慣れてしまい、
「おい、これ、白い影が串刺しになって写っちゃってるよ」
などと冗談交じりにアドバイスを送ることもあった。
野部君がアシスタントを務めるようになってから、四ヶ月ほどが経過していた。
その日も彼はいつものように、仕事の合間にポラロイドを使ってあたりを撮影していた。
しかし、吐き出された写真の映像が鮮明になると、彼が短く呻いた。
また撮れてしまったのかと辻川さんは察したのだが、彼の様子がいつもと違っていた。
いつもは何が写っていようと、真っ先に辻川さんに見せに来るのだが、何故かその時、彼は酷く躊躇していた。
気になった辻川さんが何度も見せるように言うと、彼は渋々写真を渡した。
渡された写真を一目見て、辻川さんは野部君が躊躇った理由がわかった。
陽光を反射してそびえたるビル群。
そのシルエットを遮るように、フレームの半分ほどを青白い顔が占めていた。
縮れた長髪がフレームを埋め付くしそうな勢いで広がり、眼のあるべき場所には穿たれたような穴が空き、口がカメラを飲み込もうとしているかのように大きく開かれている。
その様は、さながら髑髏のようだった。
「何なんですかね、これ……」
野部君は引きつった笑みを浮かべるながら、そう口にするのが精一杯だった。
それから、徐々に彼の様子がおかしくなっていった。
さわやかで仕事熱心だった筈の彼が、ぼんやりとして仕事に集中していない事が増えた。
顔は窶れ、目の下には濃い隈が浮かんでいる。
心配事があって寝不足になっているのかと思い、辻川さんが尋ねても、
「いや、何でもないです」
と彼は答えるだけだった。
また、彼はポラロイドカメラを使わなくなった。
カメラは辻川さんの機材とともに運搬され、いつでも使える状況にあるにも関わらず、手に取ろうとすらしなかった。
そしてある日、野部君から辻川さんの元に、アシスタントを辞めさせて欲しいという電話が入った。
理由を尋ねると、田舎に帰るのだと言い、具体的な理由を話そうとしない。
そして、一方的に電話は切られてしまった。
彼を心配した辻川さんはその日の午後、彼の住むアパートに向かった。
彼の部屋の玄関前に立ち、呼び鈴を鳴らしたが応答がない。
ドアを叩き彼の名を呼んだが、全く出てくる気配がない。
辻川さんは諦めて帰ろうとした時、郵便受けに破れた紙幣のような物が挟まっていることに気付いた。
それを何気なく引っ張り出した辻川さんは、背筋が凍り付いた。
端が黒く焦げたそれは、間違いなくあの時に野部君が撮影したポラロイド写真だった。
風景が写っていた部分だけが焼失し、あの顔の部分だけが焼け残っている。
辻川さんはそれを乱暴に郵便受けに突っ込むと、慌ててその場をあとにした。
それから、野部君とは連絡を取っていない。
彼が使っていたポラロイドカメラは故障し、使い物にならなくなっていた。
(超-1 2008/「ポラロイド限定」より)




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