2008年04月29日 00:01
その頃、東さんの周囲ではおかしな事が立て続けに起こっていた。
仕事を終えて帰る途中、その背中にねっとりとまとわりつく視線を感じることがあった。
恐る恐る振り返ると、背後の電信柱の影に赤いワンピースを着た女が立ち、彼をじっと見つめている。
その姿は、闇に溶けるようにうっすらと透けていた。
彼はそれを無視して家路を急ぐが、その視線は家に帰り着くまでまとわりついてた。
どうにかボロアパートに帰り着き、ドアを開けると、カビの臭いが鼻をつく。
部屋の灯りを付けると、何かがその明かりを避けるように、暗がりへと隠れる気配がする。
換気をしようと窓に近づくと、表通りの街灯の下にさっきの女が立ち、彼の部屋を見上げている。
その姿は透けておらず、明らかにそこに存在している。
彼には、その女に見覚えはなかった。
奇妙な気配と付き纏う女に苦しめられる日々が続き、憔悴した東さんは、ネットで知り合った黒田さんという知人に相談した。
黒田さんは足先から頭にてっぺんまで、オンラインゲームにどっぷりはまったネットゲーム廃人だが、陰陽道を修めたその道のプロでもある。
早速東さんのアパートを訪れた黒田さんは、眉をひそめた。
彼は怪しげなモノをビジュアルとしてでなく、エネルギーの強弱、それが好意的か否かを感じ取る。
さながら、生きたガイガーカウンターである。
東さんの部屋には、好意的ではない気配が澱のように溜まっていた。
黒田さんは祝詞を唱えて室内を清めると、手早く結界を貼った。
そして東さんに誓詞を記した紙を渡し、署名をしてもらうと、大事に保管するように告げた。
その御陰か、室内の嫌な空気は嘘のようになくなっていた。
東さんが変なモノを見ることもなくなり、体調も回復し始めて来た。
しかし、時折あのねっとりとした視線を遠くから感じることがあり、不安は完全には消えなかった。
ある日、東さんはいつも通り、オフィスのパソコンでメッセンジャーを起動し、仲間とチャットをはじめた。
メンバーは日によって異なり、その日の相手は黒田さんと、片瀬さんという女性だった。
東さんは黒田さんにお礼を言い、まだ視線を感じることを告げた。
「あー、いるね」
そう言ったのは黒田さんではなく、片瀬さんだった。
片瀬さんは黒田さんのようなプロではないが、見える人だ。
しかし、その見える範囲が黒田さんが脱帽するほどのもので、遠方に住む彼女は、都心に住む仲間の周囲にいるモノを見て、ずばずばと言い当ててきた実績がある。
「え、俺のそばにいる?」
「ううん、アパートの周り。黒田さんが結界張ったでしょ。その外周に貼り付いてる」
「マジで?」
「えっとね、アパートの階段の所に、赤いワンピースの女が膝抱えて座ってる」
画面に映し出されたその一文に、東さんは鳥肌が立った。
間違いなく、あの視線の主、生き霊を飛ばすストーカー女だ。
東さんと黒田さんは、片瀬さんにその女について話したことは一度もない。
「あ、そういえば結界は部屋だけだった」
黒田さんのとぼけた言葉に東さんは怒った。
「ちょ、なんとかしてくれよ!」
「そうは言っても、僕は見える範囲にしか結界を作れないし。
近隣全体が見渡せて、そいつらのいる正確な居場所が把握出来れば何とかなるだろうけど……。
お、ちょっと待てよ。東、お前の正確な住所を教えろ」
「え?」
黒田さんが何かを思いついたようだが、東さんにはさっぱりわからなかった。
わからないまま、とりあえず住所を教えた。
「よし。片瀬さん、そいつらがどの辺に見えるか教えて。そいつらのいる範囲にまとめて結界を張るから」
「いいけど……どういうこと?」
「今、グーグルマップの航空写真を開いた。東、お前の家、はっきり見えるぞ」
大手検索サイト・グーグルには地図検索機能があり、住所を入力するとその近辺の地図が表示される。
その表示も、普通の地図と航空写真の二通りを選ぶことが出来る。
その航空写真の可視範囲が、世界地図から道路に書かれた「とまれ」の文字が読める距離までと幅広い。
自分の家の住所を入力し最大倍率で表示させると、その屋根どころか給水塔の蓋まで確認出来るのだ。
そこからは、奇妙なチャットが続いた。
片瀬さんが場所を指示し、黒田さんが答える。
東さんはひたすら流れていくやりとりを、呆然と見ているしかなかった。
「あとは、裏の駐車場、ワンピース女がいる……強いよ、これ。多分生き霊でしょ」
「そいつか……これでどう?」
「やっぱしぶといな−。お、薄くなってきた。いいかも……あ」
「どうした?」
「うわ、目玉だけ残ってる。やっぱ執念深いなあ。お、消えてきた……うん、消えた。これで問題なし」
「本当かよ?」
半信半疑だった東さんだが、帰り道からすでに様子が違っていた。
あの視線を全く感じないのだ。
アパート近辺に着いた時、さらにはっきりと体感出来た。
薄くかかっていたモヤのような雰囲気が、綺麗さっぱり消えていた。
ようやく、彼は解放された。
それから間もなく、彼は引越することにした。
引っ越し先はもちろん、黒田さんのお墨付き。
準備は順調に進み、引越当日には黒田さんを含め、数人がその手伝いにやってきた。
黒田さんが荷物を運んでいると、彼の元に大家が歩み寄ってきた。
「あんた、東さんの知り合い?」
品定めをするような目つきで黒田さんを見ながら、大家が尋ねた。
「はい。手伝いに来ました」
「頼むから静かにやってくれよ。ゴミを置いていくなよ。収集所にも出さないでくれ。もうこの町の人間じゃないんだから。
それと、部屋は綺麗に元通りにしていけよ。汚れている分は請求するから」
一気にまくし立てられて、黒田さんはカチンと来た。
何だこいつ? 何で東じゃなく俺に? 何だ偉そうに? 言われるまでもなく静かに綺麗にしてるだろうが!
黒田さんは荷物を運び終えると、『全てを』元に戻した。
その後、あのアパートがどうなったかはわからない。
(超-1 2008/「ナビ」より)
仕事を終えて帰る途中、その背中にねっとりとまとわりつく視線を感じることがあった。
恐る恐る振り返ると、背後の電信柱の影に赤いワンピースを着た女が立ち、彼をじっと見つめている。
その姿は、闇に溶けるようにうっすらと透けていた。
彼はそれを無視して家路を急ぐが、その視線は家に帰り着くまでまとわりついてた。
どうにかボロアパートに帰り着き、ドアを開けると、カビの臭いが鼻をつく。
部屋の灯りを付けると、何かがその明かりを避けるように、暗がりへと隠れる気配がする。
換気をしようと窓に近づくと、表通りの街灯の下にさっきの女が立ち、彼の部屋を見上げている。
その姿は透けておらず、明らかにそこに存在している。
彼には、その女に見覚えはなかった。
奇妙な気配と付き纏う女に苦しめられる日々が続き、憔悴した東さんは、ネットで知り合った黒田さんという知人に相談した。
黒田さんは足先から頭にてっぺんまで、オンラインゲームにどっぷりはまったネットゲーム廃人だが、陰陽道を修めたその道のプロでもある。
早速東さんのアパートを訪れた黒田さんは、眉をひそめた。
彼は怪しげなモノをビジュアルとしてでなく、エネルギーの強弱、それが好意的か否かを感じ取る。
さながら、生きたガイガーカウンターである。
東さんの部屋には、好意的ではない気配が澱のように溜まっていた。
黒田さんは祝詞を唱えて室内を清めると、手早く結界を貼った。
そして東さんに誓詞を記した紙を渡し、署名をしてもらうと、大事に保管するように告げた。
その御陰か、室内の嫌な空気は嘘のようになくなっていた。
東さんが変なモノを見ることもなくなり、体調も回復し始めて来た。
しかし、時折あのねっとりとした視線を遠くから感じることがあり、不安は完全には消えなかった。
ある日、東さんはいつも通り、オフィスのパソコンでメッセンジャーを起動し、仲間とチャットをはじめた。
メンバーは日によって異なり、その日の相手は黒田さんと、片瀬さんという女性だった。
東さんは黒田さんにお礼を言い、まだ視線を感じることを告げた。
「あー、いるね」
そう言ったのは黒田さんではなく、片瀬さんだった。
片瀬さんは黒田さんのようなプロではないが、見える人だ。
しかし、その見える範囲が黒田さんが脱帽するほどのもので、遠方に住む彼女は、都心に住む仲間の周囲にいるモノを見て、ずばずばと言い当ててきた実績がある。
「え、俺のそばにいる?」
「ううん、アパートの周り。黒田さんが結界張ったでしょ。その外周に貼り付いてる」
「マジで?」
「えっとね、アパートの階段の所に、赤いワンピースの女が膝抱えて座ってる」
画面に映し出されたその一文に、東さんは鳥肌が立った。
間違いなく、あの視線の主、生き霊を飛ばすストーカー女だ。
東さんと黒田さんは、片瀬さんにその女について話したことは一度もない。
「あ、そういえば結界は部屋だけだった」
黒田さんのとぼけた言葉に東さんは怒った。
「ちょ、なんとかしてくれよ!」
「そうは言っても、僕は見える範囲にしか結界を作れないし。
近隣全体が見渡せて、そいつらのいる正確な居場所が把握出来れば何とかなるだろうけど……。
お、ちょっと待てよ。東、お前の正確な住所を教えろ」
「え?」
黒田さんが何かを思いついたようだが、東さんにはさっぱりわからなかった。
わからないまま、とりあえず住所を教えた。
「よし。片瀬さん、そいつらがどの辺に見えるか教えて。そいつらのいる範囲にまとめて結界を張るから」
「いいけど……どういうこと?」
「今、グーグルマップの航空写真を開いた。東、お前の家、はっきり見えるぞ」
大手検索サイト・グーグルには地図検索機能があり、住所を入力するとその近辺の地図が表示される。
その表示も、普通の地図と航空写真の二通りを選ぶことが出来る。
その航空写真の可視範囲が、世界地図から道路に書かれた「とまれ」の文字が読める距離までと幅広い。
自分の家の住所を入力し最大倍率で表示させると、その屋根どころか給水塔の蓋まで確認出来るのだ。
そこからは、奇妙なチャットが続いた。
片瀬さんが場所を指示し、黒田さんが答える。
東さんはひたすら流れていくやりとりを、呆然と見ているしかなかった。
「あとは、裏の駐車場、ワンピース女がいる……強いよ、これ。多分生き霊でしょ」
「そいつか……これでどう?」
「やっぱしぶといな−。お、薄くなってきた。いいかも……あ」
「どうした?」
「うわ、目玉だけ残ってる。やっぱ執念深いなあ。お、消えてきた……うん、消えた。これで問題なし」
「本当かよ?」
半信半疑だった東さんだが、帰り道からすでに様子が違っていた。
あの視線を全く感じないのだ。
アパート近辺に着いた時、さらにはっきりと体感出来た。
薄くかかっていたモヤのような雰囲気が、綺麗さっぱり消えていた。
ようやく、彼は解放された。
それから間もなく、彼は引越することにした。
引っ越し先はもちろん、黒田さんのお墨付き。
準備は順調に進み、引越当日には黒田さんを含め、数人がその手伝いにやってきた。
黒田さんが荷物を運んでいると、彼の元に大家が歩み寄ってきた。
「あんた、東さんの知り合い?」
品定めをするような目つきで黒田さんを見ながら、大家が尋ねた。
「はい。手伝いに来ました」
「頼むから静かにやってくれよ。ゴミを置いていくなよ。収集所にも出さないでくれ。もうこの町の人間じゃないんだから。
それと、部屋は綺麗に元通りにしていけよ。汚れている分は請求するから」
一気にまくし立てられて、黒田さんはカチンと来た。
何だこいつ? 何で東じゃなく俺に? 何だ偉そうに? 言われるまでもなく静かに綺麗にしてるだろうが!
黒田さんは荷物を運び終えると、『全てを』元に戻した。
その後、あのアパートがどうなったかはわからない。
(超-1 2008/「ナビ」より)






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