【リライト】山姥の夜

2008年04月30日 00:12

 昭和四十年代の中頃、新潟県下越地方のとある村で、和夫君という子供が行方不明になった。
 小学校四年生の和夫君は、祖父の山菜採りに仔犬のシロを連れて同行した。
 しかし、祖父が目を離した隙に彼の姿が見えなくなっていた。
 日が暮れても彼の姿は見つからず、間もなく捜索隊が結成された。
 捜索隊は山中をくまなく捜したのだが、彼の姿を見つけることは出来なかった。
 夜も更けてきたため、捜索隊は一度解散し、翌朝再び捜索を行うこととなった。

 翌朝、再び捜索隊は山中に分け入った。
 そして正午過ぎ、和夫君を無事に保護した。
 山を下り、診療所で休養を取った彼は、村の人々に今朝までの出来事を話した。
 それは、にわかには信じがたい話だった。

 祖父のそばで昆虫採集をしていた和夫君は、あちこちの木々を見て回っている内に、祖父とはぐれてしまった。
 彼は大声で叫んだが、それに答える声はなく、とぼとぼと歩き出した。
 すると、彼を嗄れた声が呼び止めた。
 振り返ると、一人の老婆が笑みを浮かべて彼の方を見ている。
 真っ白の髪は小綺麗に束ねられ、着ている薄桃色の着物も汚れがない。
 良家のお婆さんなのかな、と彼は思った。
「こんな山ん中に、ひとりでなあしたんだい」
 老婆に問われ、彼は事情を説明した。
 すると、夜が明けるまで泊まっていくといい、と老婆が言う。
 あたりはすでに暗くなっている。
 彼に断る理由はなかった。

 老婆に導かれた先は、山奥の古い屋敷だった。
 美味しい料理、薪焚きの風呂、そして暖かい布団と、和夫君は手厚くもてなされた。
 よほど疲れていたのか、布団に入るとすぐに眠りについた。

 しゅっ、しゅっ。

 奇妙な音に、彼は目を覚ました。
 音に合わせて、老婆の声が聞こえてくる。
 彼はそっと客間を出ると足を忍ばせ、音のする廊下の向こうへ近づいた。
 近づくにつれて、老婆の声が聞き取れるようになっていく。

 ……喰っちゃるか、喰っちゃるか。
 ……犬ん子肝喰っちゃるか。
 ……おのこ肝喰っちゃるか。

 廊下の突き当たりにある居間から、蝋燭の薄明かりが漏れている。
 彼は居間の閉じられた障子にそっと近づくと、気付かれぬように小さな穴を開け、中を覗いた。

 蝋燭の灯りの下、鬼の形相をした老婆が白髪を振り乱しながら、牛馬包丁を研いでいた。

 彼は叫び声を飲み込むと、気付かれぬように庭先に出て、シロを抱えると一目散に逃げ出した。
「どこへ逃げたんがぁ!」
 遠くから、老婆の叫び声が聞こえる。
 木々を避けながら逃げる彼の背後から、その叫び声はどんどん距離を縮めてくる。
 間もなく山小屋が目に留まり、彼はその中に隠れた。
 扉に閂をかけ、小屋の片隅にある古ぼけた木箱の影に身を潜める。
「犬ん子肝どこいった、男の子肝どこいった。小屋ん中か、小屋ん中にいるんが」
 老婆の声がして、扉が激しく叩かれた。
「犬ん子肝どこいった、男の子肝どこいった。小屋ん中か、小屋ん中にいるんが」
 再び声とともに、扉が叩かれる。
 板目を割いて、包丁の切っ先が突き出た。
「な、中になんて、いないよ!」
 彼は思わず叫んだ。
「んだば、裏辺か、裏辺にいるんが」
 その声とともに足音が小屋の周囲を巡り、再び扉の前で止まった。
「裏辺にゃいねえ、やっぱ、小屋ん中か、小屋ん中にいるんが」
「中じゃない、中じゃない!」
「んだば、屋根上か、屋根上にいるんが」
 その瞬間、屋根の上でガタンと大きな音がした。
 そして足音が、屋根をまんべんなく巡った。
「屋根上にゃいねえ、やっぱ、小屋ん中か、小屋ん中にいるんが」
「中じゃないよ、別のところにいるんだ!」

「嘘こくでねえ、もう中しか残ってねえ」
 天窓から、逆さまになった老婆が顔を覗かせていた。

 老婆は天窓を突き破り、その隙間からするりと中に入ると、蜘蛛のように天井を這いながら、あたりの様子を伺っていた。
 その時、シロが彼の手を抜け出し、木箱の影から飛び出し、老婆に向かって激しく吠えたてた。
「犬ん子肝見つけたあ、やっぱ、中にいたんが」
 老婆は素早くシロのそばへ這い寄り、牛刀包丁を振り下ろした。
 そして、シロの断末魔の絶叫が小屋の中に響き渡った。
 老婆は動かなくなったシロを手に取ると、その屍にかじりついた。
 おぞましい音が彼を震え上がらせる。

「ああ、うんめかった。次は男の子肝だ。どこに隠れてんが」
 木箱のすぐ向こうから、老婆の声がした。
 彼は必死に頭を働かせ、そして叫んだ。
「床下だ、床下に隠れてるんだ。見つけられるもんか!」
 それを聞いた老婆が、舌なめずりをする音が聞こえた。
「床下あ、それは気付かんがった」
 言うなり、老婆は牛刀包丁を床に向かって何度も振り下ろした。
 その切っ先が、次第に床板を削っていく。
 そして五分ほどして穴が穿たれると、老婆はその穴に手をかけて、床板をはがし、その中へ頭を突っ込んだ。
 「男の子肝どこにいんだ。真っ暗でなんも見えねえ。けったくそわりい、いいあんべえに隠れやがって」
 老婆は穴に頭を突っ込んだ体勢のまま、床下を見回し続けていた。
 彼はその隙を突き、小屋からそっと逃げ出すと、朝まで走り続けた。

 そして正午過ぎ、捜索隊に保護されたのだという。

 余りにも現実離れしたその話を、村人たちは到底信じることが出来なかった。
 しかし、実際にシロが消えている。
 翌日、念のために山狩りが行われることとなった。
 捜索隊は彼が逃げ込んだという山小屋を見つけたが、老婆の姿はなかった。
 山小屋は激しく損壊し、その中には夥しい血痕が残されていたが、事件は有耶無耶のままに終わった。


 それから時代は遷り、人々がバブル景気に沸く昭和六十年。
 バブルの波は山間の村にも押し寄せ、レジャー企業側と住民側による、ゴルフ場建設の為の共同視察が行われた。
 その視察の折、山奥に荒れ果てた屋敷が発見された。
 住んでいるものはおらず、室内には埃が積もっていた。
 そしてその居間の畳の真ん中には、ボロボロに錆びた牛馬包丁が突き立てられていたという。

(超-1 2008/「山姥の夜」より)


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