2008年04月06日 04:13
大晦日の晩、祖父が亡くなった。
享年九十五歳。大往生だった。
元日を祝うどころではなく、慌ただしく通夜が執り行われる事となった。
通夜の晩は線香を絶やさぬよう、本来は交代で寝ずの番をするのだが、親族は皆疲れ切っていた為、私がその番を引き受けた。
親族が眠りにつく中、私は炬燵に入って絵を描いていた。
ふと気づくと、線香が燃え尽きていた。
「巻き線香があれば、楽なのになあ」
ぼやきながら炬燵から出て、次の線香を焚いた。
煙が上がるのを見届けると、靴下を脱ぎ捨てて炬燵に入り直した。
炬燵の暖かさに負け、いつの間にか眠っていたらしい。
額を何かがくすぐる。
慌てて払いのけたそれを見て、叫びそうになった。
それは一センチほどの、小さな茶色い蜘蛛だった。
炬燵の天板の上を、蜘蛛が走り去ってゆき、消えた。
我に返って祭壇を見ると、線香は燃え尽きていた。
慌てて、炬燵に突っ伏していた上半身を起こそうとすると、ぽたっ、と、上から何かが天板の上に落ちてきた。
それもまた、小さな蜘蛛。
頭上を見上げて、息を呑んだ。
天井から下がっている、釣り鐘型蛍光灯。
そこにびっしりと、無数の蜘蛛が貼り付いていた
そこからまた一匹、蜘蛛が落ちてくる。
今度は、天板に着地する寸前に、かき消えた。
私は大慌てで炬燵から飛び出し、祭壇に駆け寄った。
震える手で次から次へ線香を焚き、傍らで眠る祖父に手を合わせながら、この奇妙な状況をどうにかしてくれるよう、ひたすら拝み続けた。
朝日が障子を明るく照らし始めた頃、最後の蜘蛛が蛍光灯から落ち、姿を消した。
それを見届け、ぼうっとしている私に、起きてきた母が声をかけた。
「こんなに線香炊いたら煙たいで。なぁ、じいちゃん」
香台には剣山のように線香が乱立している。事情を説明しようとした時、
「ありゃ、じいちゃんの顔に蜘蛛ついてるわ」
母の言葉に、思わず飛び退いた。
祖父の顔に被せられた”打ち覆い”という布の上を、あの蜘蛛が這っている。
「そういえば、あんたが小さい頃、じいちゃんに蜘蛛を見せられて大泣きした事があったに。憶えてる?」
言いながら母は、打ち覆いをそっと外し、蜘蛛を追い払った。
「あれ、じいちゃん笑ってるわ」
母の言葉に、祖父の顔を恐る恐る覗き込むと、昨日までむすっとしていたその顔が、口の端を吊り上げて微笑んでいるように見えた。
三が日中は火葬場が開かず、残り二日、ドライアイスで冷やされた祖父のそばで、寝ずの番が続いた。
線香を絶やなかった御陰か、あの蜘蛛が再び現れる事はなかった。
(超-1 2008/「声なき説教」より)
享年九十五歳。大往生だった。
元日を祝うどころではなく、慌ただしく通夜が執り行われる事となった。
通夜の晩は線香を絶やさぬよう、本来は交代で寝ずの番をするのだが、親族は皆疲れ切っていた為、私がその番を引き受けた。
親族が眠りにつく中、私は炬燵に入って絵を描いていた。
ふと気づくと、線香が燃え尽きていた。
「巻き線香があれば、楽なのになあ」
ぼやきながら炬燵から出て、次の線香を焚いた。
煙が上がるのを見届けると、靴下を脱ぎ捨てて炬燵に入り直した。
炬燵の暖かさに負け、いつの間にか眠っていたらしい。
額を何かがくすぐる。
慌てて払いのけたそれを見て、叫びそうになった。
それは一センチほどの、小さな茶色い蜘蛛だった。
炬燵の天板の上を、蜘蛛が走り去ってゆき、消えた。
我に返って祭壇を見ると、線香は燃え尽きていた。
慌てて、炬燵に突っ伏していた上半身を起こそうとすると、ぽたっ、と、上から何かが天板の上に落ちてきた。
それもまた、小さな蜘蛛。
頭上を見上げて、息を呑んだ。
天井から下がっている、釣り鐘型蛍光灯。
そこにびっしりと、無数の蜘蛛が貼り付いていた
そこからまた一匹、蜘蛛が落ちてくる。
今度は、天板に着地する寸前に、かき消えた。
私は大慌てで炬燵から飛び出し、祭壇に駆け寄った。
震える手で次から次へ線香を焚き、傍らで眠る祖父に手を合わせながら、この奇妙な状況をどうにかしてくれるよう、ひたすら拝み続けた。
朝日が障子を明るく照らし始めた頃、最後の蜘蛛が蛍光灯から落ち、姿を消した。
それを見届け、ぼうっとしている私に、起きてきた母が声をかけた。
「こんなに線香炊いたら煙たいで。なぁ、じいちゃん」
香台には剣山のように線香が乱立している。事情を説明しようとした時、
「ありゃ、じいちゃんの顔に蜘蛛ついてるわ」
母の言葉に、思わず飛び退いた。
祖父の顔に被せられた”打ち覆い”という布の上を、あの蜘蛛が這っている。
「そういえば、あんたが小さい頃、じいちゃんに蜘蛛を見せられて大泣きした事があったに。憶えてる?」
言いながら母は、打ち覆いをそっと外し、蜘蛛を追い払った。
「あれ、じいちゃん笑ってるわ」
母の言葉に、祖父の顔を恐る恐る覗き込むと、昨日までむすっとしていたその顔が、口の端を吊り上げて微笑んでいるように見えた。
三が日中は火葬場が開かず、残り二日、ドライアイスで冷やされた祖父のそばで、寝ずの番が続いた。
線香を絶やなかった御陰か、あの蜘蛛が再び現れる事はなかった。
(超-1 2008/「声なき説教」より)




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