【リライト】寿荘

2008年04月06日 04:16

 椎名さんは一時期、あるアパートに住んでいた。
 築年数の古い格安の物件。風呂は共同、六畳一間。
 女性専用ということもあり、安心していたのだが。

 引っ越し初日、荷物を開梱し、片付けを始めた彼女は、押し入れに妙なものを見つけた。
 それは古い経典だった。
 彼女はそれを押し入れの隅に押しのけ、見なかった事にした。
 片付けを終えて一眠りしていると、ふと目が覚めたが動けない。
 疲れてるからかな。と思おうとしたが、その足下を、黒い影が這いずりながらどこかへ消えていった。

 スナックに勤務していた彼女の生活は、昼夜が完全に逆転していた。
 明け方に帰り、昼間眠り、夕刻に出勤する。
 その昼間の睡眠時に、次々と奇妙な出来事が彼女を襲った。

 ある日、いつものように動けなくなると、その彼女を黄色い影が見下ろしていた。
 それは、全身を黄色い雨合羽で包んだ人間だった。
 フードで顔は見えなかったが、女のような気がした。
 その女に見下ろされながら、彼女は意識を失った。

 別の日、寝ている彼女の体を、何かがまさぐった。
 変質者かと思い、目を開けると、黒い影が彼女に覆い被さっていた。
 しばらくすると満足したのか、その影は消えていった。

 また別の日、寝ている彼女の唇が塞がれた。
 この間の影かと思ったが、今度は何も見えなかった。

 それだけの目に遭いながらも、実害がないから、と、彼女は気にしていなかった。

「なあ、お前、やっぱり最近変だぞ」
 受話器から聞こえる彼の声は重かった。
 元々は温厚な性格だった彼女が、些細な事で泣き出したり、激昂したり、同じ人物とは思えないほど、感情の起伏が激しくなっている、と、彼は言う。
 彼にそう言われても、彼女にはその自覚がなかった。
「そのアパート、絶対おかしいよ。出た方が良いって」
 その言葉も何度も聞いた。
「なあ……おい、誰か来てるのか?」
 不意に、彼が言った。
「さっきから、小さい子供の声が聞こえるんだけど」

 度重なる彼の説得を受けて、彼女は四年間住み慣れたそのアパートから引っ越した。
 あの頃はやっぱり、何かおかしかったかも、と彼女は当時の事を振り返った。

(超-1 2008/「寿荘」より)


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