【リライト】肉球

2008年04月07日 01:41

 川上さんがその男……須賀と知り合ったのは、社内の野球部だった。
 野球好きの川上さんは練習や行事に積極的に参加し、汗を流してていた。
 須賀は、その仲間達を、グラウンドの隅に佇み、見ているだけだった。
 いつの間にか現れ、いつの間にか帰って行く。
 話の輪に入ってきた事もない。
 変なやつ、と川上さんは思ったが、気にとめる事はなかった。

 ある土曜日、練習試合を終えた部員達は、大衆酒場で打ち上げを行った。
 気づくと、川上さんの隣で、須賀がビールを飲んでいた。
 珍しさもあり、酒の勢いもあり、川上さんは彼に話しかけてみた。
 彼は現在、左足の靱帯を痛めている為、練習や試合に参加出来ないという。
 さらに聞いてみると、彼が川上さんと同じ球団のファンという事が解り、二人は野球談義に花を咲かせた。
 すっかり意気投合したところで、打ち上げはお開きとなった。
「どうです、うちで続きをやりませんか?」
 という須賀の誘いを断る理由はなかった。

 そこは十階建ての、比較的新しいマンションだった。
 六階の彼の部屋に通され、川上さんは少し戸惑った。
 男の一人住まいにしては、部屋に生活感がなさすぎた。
 家具など、部屋を構成する物品が極端に少ないのだ。
 須賀は折り畳みテーブルをフローリングの真ん中に広げ、途中立ち寄ったコンビニで買ったビールとおつまみを取り出した。
 ビールを何本か空け、好きな選手について話が盛り上がっている時、川上さんの視界に妙なものが見えた。
 川上さんの正面に、須賀は窓に背を向けて座っている。その窓にはカーテンがなく、その向こうのベランダと夜景が見える。
 その窓の向こうを、茶色い塊が落ちていった。
 川上さんには、それが中くらいの段ボール箱のように見えた。
「おい、窓の外、なんか落ちたぞ」
「大丈夫だ」
 須賀は振り返りもせずに言った。
 気にはなったが、須賀が気にしていないのだから、何でもないのだろう。
 川上さんはそう思い、話を再会した。
 その目の前で、また、茶色い塊が窓の外を落ちていく。
「まただ。何だあれ? 危なくないのか?」
「……何に見えましたか?」
 須賀が意味ありげな笑みを浮かべながら聞いてきた。
「何って、段ボール箱みたいな」
「だったら大丈夫だ」
 そう言って須賀が笑った。川上さんを小馬鹿にするような、へらへらとした笑い声。
 川上さんはからかわれているような気がした。
 こうなると、窓の外のモノを確認しないと気が済まない。立ち上がり、窓に近づこうとすると、須賀に声をかけられた。
「ベランダに出ない方が良いですよ」
 その顔には、相変わらず薄ら笑いを浮かべている。

 須賀を無視し、川上さんはベランダに出た。
 手すりから身を乗り出し、眼下の道路を見下ろすが、街灯に照らされた路面には、何も落ちていない。
 そこでふと、川上さんはある事に気づいた。
 あの段ボール、落ち方が変だったな。外をまっすぐ地面に向かって、じゃなく……。
「なあ」
 須賀に問いただそうと振り返った彼の鼻先を、それがかすめた。
 バランスボールのような大きさ・形状の、弾力のある茶色の塊。
 それは、上階のベランダを突き抜け、川上さんの眼前を通り過ぎ、彼が立つベランダの床でバウンドした。
 バウンドしたそれは彼に向かって飛んできた。
 よける間もなく、それは彼の腹部にめり込んだ。
 感触はなかった。
 それは彼の体を貫通し、消えていった。

 川上さんは全身の力が抜け、その場に腰を落とした。
 這いつくばる彼は、それを見下ろす須賀と目があった。
「川上さぁん、ナニに見えましたか?」
 須賀は相変わらずヘラヘラしている。その目の焦点が定まっていない。
 川上さんは何も応える事が出来なかった。
「体育座りの、裸の女ですよねぇ」
 口の端を吊り上げ、引きつった笑顔で須賀が言う。
「裸の女、裸のおんな、はだかのおんな、ハダカのおんな、ハダカノオンナ、ハダカノオンナハダカノオンナハダカノオンナ……」
 川上さんはどうにか体を起こし、壊れたレコーダーのように繰り返す須賀を残し、そのマンションから逃げ出した。

 それから、川上さんは野球部の活動を休んだ。
 須賀と顔を合わせたくなかった。

 それからしばらくして、野球部の仲間の話で、須賀が退社した事を知った。
 思うところがあって、遍路巡りをする為の退社だったという。

(超-1 2008/「肉球」より)


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