2008年04月07日 23:23
これは、ある老人が、匿名と詳細の描写を避ける事を条件に、明かしてくれた話である。
その町は歴史が古く、伝統と格式を重んじ、人と人との繋がりが密接だった。
年に一度行われた祭事はその最たるもので、町民一丸となって祭事にあたる。
戦時中は中止を余儀なくされていたが、終戦を迎え、復活を望む声が高まるのは当然の事と言えよう。
祭事復興の立役者となったのが、その町の名士の藤原さんという人物だった。
彼は本業の傍ら、後援会や町会、そして企業への賛同の働きかけを積極的に行った。
結果、復活した祭事は大成功を収めた。
その後も彼を中心として、毎年の祭事が執り行われた。
それは彼が頭の座を退き、世話役となってからも変わらなかった。
本業を引退してからは、より祭事に心血を注ぐようになっていた。
時代が移り変わり、徐々に祭事への参加者が減り始め、執行部や若衆は頭を悩ませた。
彼らは様々な打開策を協議し、提案を行った。
だが、藤原さんがそれを悉く却下した。
藤原さんにとっては、祭事は長年手塩にかけてきた子供のようなものであり、また、自らが復興させた、という自負も強くあったに違いない。
また、彼は祭事の所作そのものを崩す事は、祭事本来の趣旨と異なることを懸念していた。
しかし、それは他の者には傲慢としか映らなかった。
結果、藤原さんは孤立した。
各種決定事項は、藤原さん以外の全ての者が決議し、決定稿として彼の元へ持ち込まれた。
彼はそれを承認せざるを得なくなった。
誰も、彼に相談に来る事がなくなった。
誰も、彼の言葉に耳を貸す者がいなくなった。
結果、彼は鴨居にロープを掛け、首を吊った。
その死は、関係者全員に暗い影を落とした。
葬儀を終え、誰もがその出来事を払拭しようとした。
そして、初七日。
藤原さんの家の三軒隣のご主人が死んだ。
首吊り自殺だった。
遺書は残されていなかった。
その家の死者の葬儀はつつがなく行われた。
そしてその初七日……藤原さんの死後十四日目。
そのすぐそばの家に住む独居老人が死んだ。
やはり、首吊り自殺だった。
病気を苦にしての自殺、と警察は判断したが、遺書は残されていなかった。
その頃になると、ちらほらと噂をする者が出始めた。
世話役が祟っている。
藤原さんは遺書を残していた。
そこには、祭事関係者全てに対する恨みが綴られていた。
この町で、祭事に関わらなかった人間など皆無に等しい。
噂をする者達は恐れ震え上がっていたが、町会や執行部の面々は一笑に付した。
だが、老人の初七日……藤原さんの死後二十一日目。
近隣の中年男性が死んだ。
今度も、首吊り自殺だった。
勤めていた会社が倒産し、路頭に迷っての自殺と判断された。
だが、それを額面通りに受け取る者はほとんどいなかった。
その頃になると関係者からは、お祓いをするべきだという声が上がりはじめた。
しかし、その提案は若手役員の猛反発によって却下された。
祟りを信じていないというよりは、負けを認めたくないという意地からだった。
次は誰だ、と関係者は気が気ではなかった。
そして、中年男性の初七日……藤原さんの死後二十八日目。
再び死者が出た。
またしても、首吊り自殺だった。
これで四人目だ。
不安が確信へと変わるには、十分な犠牲者数だった。
四人目の初七日……藤原さんの死後三十五日目。
五人目の首吊り自殺者が出た。
もはや誰も驚かなかった。
むしろ安堵していたかもしれない。自分でなくて良かった、と。
そして再び、次の七日後を恐れた。
その七日後……藤原さんの死後四十二日目。
とうとう、六人目の首吊り自殺が出た。
もはや、藤原さんの事を口にする事すら憚られていた。
自殺者の家を遠巻きに取り囲む彼らの前で、現場検証を行っていた警官が呟いた。
「なんかこの近辺、祟られてんのか?」
息を潜め、戦々恐々とする住民達にとって、恐れていた日。
六人目の死者が出てから七日後・・・・・・藤原さんの死後、四十九日目。
死者は出なかった。
その翌週も、その翌々週も。
首吊りの連鎖は、どういうわけか収まった。
「中陰、という言葉を知ってるか? 今の若いやつは知らないだろうな。
仏さんの魂っていうのは、死んでからも四十九日間は成仏しないんだよ。
藤原さんは深い恨みで、六人の首を吊られて道連れにし、ようやくあの世へ行けたのだと、皆言っていたよ」
人が死んでから四十九日間、その魂は生と死の狭間にいる。これを中陰、または中有と呼ぶ。
魂はその中陰の道を歩く。その先には、七日ごとに審判の門が待っている。
その審判の門で生前の罪科を裁かれ、浄化が必要と判断されると地獄に落とされる。
また、資格があると判断されると浄土への道が開かれる。七日ごとの法要はその助け船となる。
どちらでもないと判断されると、生と死の狭間での道行きが続行される。
その七日間の道程こそが、功徳を積み、魂を清める期間でもある。
そうした過程を経て辿り着く、四十九日目の審判の門には、閻魔大王が控えている。
ここで魂は、極楽浄土か、六道地獄のいずれかへ行く事が決定づけられる。
藤原さんは四十九日間留まり続け、六人を道連れにした。
彼は、地獄に堕ちる事を覚悟していたのだろうか。
(超-1 2008/「中陰」より)
その町は歴史が古く、伝統と格式を重んじ、人と人との繋がりが密接だった。
年に一度行われた祭事はその最たるもので、町民一丸となって祭事にあたる。
戦時中は中止を余儀なくされていたが、終戦を迎え、復活を望む声が高まるのは当然の事と言えよう。
祭事復興の立役者となったのが、その町の名士の藤原さんという人物だった。
彼は本業の傍ら、後援会や町会、そして企業への賛同の働きかけを積極的に行った。
結果、復活した祭事は大成功を収めた。
その後も彼を中心として、毎年の祭事が執り行われた。
それは彼が頭の座を退き、世話役となってからも変わらなかった。
本業を引退してからは、より祭事に心血を注ぐようになっていた。
時代が移り変わり、徐々に祭事への参加者が減り始め、執行部や若衆は頭を悩ませた。
彼らは様々な打開策を協議し、提案を行った。
だが、藤原さんがそれを悉く却下した。
藤原さんにとっては、祭事は長年手塩にかけてきた子供のようなものであり、また、自らが復興させた、という自負も強くあったに違いない。
また、彼は祭事の所作そのものを崩す事は、祭事本来の趣旨と異なることを懸念していた。
しかし、それは他の者には傲慢としか映らなかった。
結果、藤原さんは孤立した。
各種決定事項は、藤原さん以外の全ての者が決議し、決定稿として彼の元へ持ち込まれた。
彼はそれを承認せざるを得なくなった。
誰も、彼に相談に来る事がなくなった。
誰も、彼の言葉に耳を貸す者がいなくなった。
結果、彼は鴨居にロープを掛け、首を吊った。
その死は、関係者全員に暗い影を落とした。
葬儀を終え、誰もがその出来事を払拭しようとした。
そして、初七日。
藤原さんの家の三軒隣のご主人が死んだ。
首吊り自殺だった。
遺書は残されていなかった。
その家の死者の葬儀はつつがなく行われた。
そしてその初七日……藤原さんの死後十四日目。
そのすぐそばの家に住む独居老人が死んだ。
やはり、首吊り自殺だった。
病気を苦にしての自殺、と警察は判断したが、遺書は残されていなかった。
その頃になると、ちらほらと噂をする者が出始めた。
世話役が祟っている。
藤原さんは遺書を残していた。
そこには、祭事関係者全てに対する恨みが綴られていた。
この町で、祭事に関わらなかった人間など皆無に等しい。
噂をする者達は恐れ震え上がっていたが、町会や執行部の面々は一笑に付した。
だが、老人の初七日……藤原さんの死後二十一日目。
近隣の中年男性が死んだ。
今度も、首吊り自殺だった。
勤めていた会社が倒産し、路頭に迷っての自殺と判断された。
だが、それを額面通りに受け取る者はほとんどいなかった。
その頃になると関係者からは、お祓いをするべきだという声が上がりはじめた。
しかし、その提案は若手役員の猛反発によって却下された。
祟りを信じていないというよりは、負けを認めたくないという意地からだった。
次は誰だ、と関係者は気が気ではなかった。
そして、中年男性の初七日……藤原さんの死後二十八日目。
再び死者が出た。
またしても、首吊り自殺だった。
これで四人目だ。
不安が確信へと変わるには、十分な犠牲者数だった。
四人目の初七日……藤原さんの死後三十五日目。
五人目の首吊り自殺者が出た。
もはや誰も驚かなかった。
むしろ安堵していたかもしれない。自分でなくて良かった、と。
そして再び、次の七日後を恐れた。
その七日後……藤原さんの死後四十二日目。
とうとう、六人目の首吊り自殺が出た。
もはや、藤原さんの事を口にする事すら憚られていた。
自殺者の家を遠巻きに取り囲む彼らの前で、現場検証を行っていた警官が呟いた。
「なんかこの近辺、祟られてんのか?」
息を潜め、戦々恐々とする住民達にとって、恐れていた日。
六人目の死者が出てから七日後・・・・・・藤原さんの死後、四十九日目。
死者は出なかった。
その翌週も、その翌々週も。
首吊りの連鎖は、どういうわけか収まった。
「中陰、という言葉を知ってるか? 今の若いやつは知らないだろうな。
仏さんの魂っていうのは、死んでからも四十九日間は成仏しないんだよ。
藤原さんは深い恨みで、六人の首を吊られて道連れにし、ようやくあの世へ行けたのだと、皆言っていたよ」
人が死んでから四十九日間、その魂は生と死の狭間にいる。これを中陰、または中有と呼ぶ。
魂はその中陰の道を歩く。その先には、七日ごとに審判の門が待っている。
その審判の門で生前の罪科を裁かれ、浄化が必要と判断されると地獄に落とされる。
また、資格があると判断されると浄土への道が開かれる。七日ごとの法要はその助け船となる。
どちらでもないと判断されると、生と死の狭間での道行きが続行される。
その七日間の道程こそが、功徳を積み、魂を清める期間でもある。
そうした過程を経て辿り着く、四十九日目の審判の門には、閻魔大王が控えている。
ここで魂は、極楽浄土か、六道地獄のいずれかへ行く事が決定づけられる。
藤原さんは四十九日間留まり続け、六人を道連れにした。
彼は、地獄に堕ちる事を覚悟していたのだろうか。
(超-1 2008/「中陰」より)






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